25年前、ゲイカップルは講演を始めた。偏見と向き合う日々を超え「闘いと愛のバトン」を次世代に引き継いだ【あるゲイカップルの記録①】

1 month ago 29
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2019年9月、都内のビルの一室。プロジェクター投影のために暗くした会場では、あちこちから弾んだ声が聞こえていた。

映し出されたのは二人の男性がおさまった古いカラー写真たち。ニューヨークでのデモ行進、当事者が集まったイベント、地方都市でのセミナー、出版記念のインストアイベントーー。

伊藤悟(67)がマイクを握った。

「25年やってきて、だいぶ歳をとっている訳です。我々が引退の時が、すこたんが終わる時と考えていました。しかし色々なスタッフの方が来て、そして今、すこたんを継いでくれようというスタッフの方が現れた。今日をもちまして、私と簗瀬は代表等の役から降りまして、バトンタッチをしようと思います」

隣に立つ簗瀬竜太(58)は伊藤の話を聞きながら、うなずいていた。

二人が1994年に立ち上げた現「すこたんソーシャルサービス」が25周年を迎えたことを祝うこの日、二人は一線を退くことを発表した。二人の隣には、20代の後継者たちの姿があった。

セクシュアルマイノリティの人生を応援する団体「すこたんソーシャルサービス」が2019年、創設25周年を迎えた。伊藤悟さんと簗瀬竜太さんが1994年に「すこたん企画」として立ち上げ、性的少数者についての正しい知識を伝える講演活動を始め、ゲイ・バイセクシュアル男性の居場所を作り続けてきた。
二人の出会いから2020年で35年目。歩みを振り返ると、個人の人生と、人との関わり、社会が絡み合いながら時代が進んでいく様が見えてくる。【3つの記事で伝えます】(文中、敬称略)

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1994年ニューヨーク「自己肯定感のシャワーが降ってきた」

「自己肯定感のシャワーが降ってきた」

その日のことを簗瀬はこう表現する。1994年6月、警察官がニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」に押し入り、当事者らが抵抗した出来事から25周年の節目のパレードに二人は参加していた。

ニューヨークの街の沿道に立つ「応援団」に切れ目はなく、「あなたがゲイであることは素晴らしい」と書かれたプラカードが簗瀬の目に入った。

「『自分が素晴らしい』なんて思ったことがなかった。『人に言えないこと』と思いながら育ってきたから、最初はこの言葉をもらう価値が自分にはないと思った。でも、ずっと歩いているうちに、言葉が自分の中に入ってきた。『祝福されている』という感覚が入ってきたんです」

それは簗瀬が人生で初めて体験した感覚だった。そして簗瀬はもう一つ、自分たちの人生を変える衝動と出会うことになる。

「種が勝手に発芽して成長していった。自分がやっているという感覚がなかった」

ニューヨーク滞在中、二人は性的少数者を支援する組織を見学する中で、同性愛への偏見を解くために当事者たちが小中高校に出張授業に行っているという説明を受けた。

「人間は、自分の持っている概念の枠の中でしか物事を考えられないじゃないですか。当時の自分の枠の中に『当事者が学校に行って話をする』なんてなかった。なので、『話していいんだ』ってことに驚いて、感動したんです」

「この人たちは、何のために活動しているんだろうと考えた時に、『人の尊厳を守るため』という崇高なもののために活動しているんだという考えに行き着いた。感動して、『種』みたいなものが僕の中に入ってきました」

帰国後、簗瀬は伊藤に「やらないか」と伝えた。その年の9月、二人は「すこたん企画」を立ち上げた。

種が勝手に発芽して成長していった。自分がやっているという感覚がなかった。突き動かされるようで、いてもたってもいられない感じだった。駆り立てられるようだったーー。

簗瀬はそう振り返る。高校の養護教諭宛てなどで3000通以上もの手紙を出した。数通の返信を足掛かりに、二人の講演活動が始まった。

年間50回もの講演・研修。それは、偏見と正面から向き合う日々の始まりでもあった

当時、当事者カップルが学校に講演に行くというのは先進的な取り組みだった。性教育やジェンダーについて考える団体とも繋がり、機会は少しずつ増えていった。

だがそれは、偏見と正面から向き合う日々の始まりでもあった。講演先に着いたら、「僕たちホモダチ」と書かれた偏見にまみれた告知ポスターが貼られていたこともあった。そして質疑応答では、毎回のように偏見に基づく質問が出た。「ゲイに襲われたくないので、見分ける方法を教えて」「同性愛者なんて本当にいるんですか?」…。

しつこく失礼な質問を繰り返す人にムキになって反論したのに対し、別の質問者から「受け入れてもらうためにはニコニコした方がいい」という趣旨のことを言われたことも何度もあった。トーンポリシングだ。こういったやりとりにも二人は疲弊した。

1999、2000年には年間50回もの講演・研修をこなしていたが、その裏で、簗瀬はパニック障害に苦しむようになり、伊藤も不安神経症を抱えていた。簗瀬は講演前に嘔吐するようになり、スタッフの石川大我に代打を頼むこともあった。(石川は、すこたんの初期スタッフだった。2011年に東京・豊島区議となり、現在は参議院議員として活動している)

“時代の空気”も変化する中、「声を上げなくても…」という意見に思い悩んだ

体調がすぐれない簗瀬が講演活動と距離を置く中、伊藤も悩みを抱えていた。

90年代は「社会を変えたい」という思いで走り続けてきた。しかし、すこたんの講演を通じて「社会に働きかける」手法に対し、「声を上げなくても…」と意見する当事者もおり、2000年代に入った頃から、その考えの違いに伊藤は思い悩むようになった。

ちょうどその頃は、政治家による性教育への批判などを契機に学校現場で萎縮が起き、講演依頼も減りつつある時期だったという。

「『LGBTは存在する』と言うだけで大変な時代だったから、講演活動で『いる』ということを少しでも知ってもらえたのはよかった。そういう段階を過ぎて改めて、LGBTの仲間、とりわけ自分たちと同じゲイ、そしてバイセクシュアル男性と一緒に考える場を持ちたいと思った

講演・研修を地道に続けながらも、2000年代からは当事者が語り合うワークショップ型のイベントに力を入れるようになった。

団体名も2004年5月に「すこたんソーシャルサービス」に改め、現在に至るまで年50回ほどのワークショップを続けている。「当事者の出会いの方法が変わっていく中でも、ゲイ・バイセクシュアル男性が必要とする場を提供し続けようという境地に至りました」

「さかのぼっていくと、本当に繋がっているんだと思います」

ワークショップでは通算1000人以上の当事者が交流し、40人ほどのスタッフがすこたんに関わってきた。だが、学生時代から様々な社会運動団体との交流があった伊藤は、組織を維持し続ける困難さを知っていた。「自分も年をとってきて、『どこでやめるか』を考えていた時期もありました」

2010年代の前半だっただろうか。若いスタッフと、彼の進路について雑談していた時、ふと「すこたんをやってみる?」と口に出た。青年はその言葉を前向きに捉えた。三宅大二郎。2019年に、細井清彦と共にすこたんの後継者となる人だ。

伊藤はこう話す。「地道にやって来たけれど、基本的に後継者ができるとは思っていなくて。すこたんを25年やってきて、一番感慨深いことは『後継者ができたこと』です」

途中から活動を少し離れた場所から見守ってきた簗瀬は言う。「スタッフは、伊藤さんのワークショップ参加者に対する温かな接し方を見てきた。口で言って伝わるものではない部分を、吸収してくれていた。それが受け継がれ、時代がつながっていくのが素晴らしいと思っています」

代替わりを発表した2019年のパーティで、新代表の三宅はこう挨拶した。

「さかのぼっていくと、この団体はストーンウォールのニューヨークの25周年プライド・パレードをきっかけに生まれた。本当に繋がっているんだと思います。ニューヨークで勇気を出してくれた1969年のストーンウォールの人たちもそうですし、その前から活動している人たちもいっぱいいる。派生した運動の中にすこたんも位置付いていて、私たちが今こうやっているのも、先人たちの怒りとか抗議とか、その中には涙とか血とかいっぱいあったと思うんですけど、つなげてくれたから今があると思っていて。私も、闘いの、そして愛のバトンを次につなげていきたいなと思っています」

当事者とアライが積み重ねてきたものが、時代を動かしている

今も伊藤は、講演活動を三宅と続けている。

「昔は、講師を紹介する時に校長先生が、すこたんの概要部分を読んでくれないこともあったんですよね。今は堂々と『LGBTのライフスタイルを応援するすこたんソーシャルサービス』と紹介してくれる。個人的には、そういうことも嬉しいですね」

今も90年代の講演で受けた心ない言葉がフラッシュバックすることはある。だが、過去の痛みが少しずつ癒えてきたのを伊藤は感じている。

「ワークショップで自分を開示していくことで、『伝えようと思って話せば、少しずつ伝わっていく』という手応えを感じるようになったんだと思います。今も落ち込むこともあるので、25年経ってもタフにはなれてないんですけど…」

二人はすこたんを立ち上げた頃、「20年も経てば、すこたんは必要なくなっているだろうね」と話していた。確かに、数多くの当事者団体が生まれ、地方自治体でのパートナーシップ制度も始まったが、まだ差別も存在し、同性婚の実現も道半ばだ。

ただ二人は、当事者とアライが少しずつ積み重ねたものが、2015年からのパートナーシップ制度開始に結びつき、時代がこれまで以上に大きく動いていることを感じている。

簗瀬は、時代の変化についてこう話す。「自分たちが一番講演をしていた90年代から2000年代の始めには、『抗議する』という行為自体に対して冷ややかな目線が向けられることもあった。でも今は、若い人を中心に認識が変わって、様々な問題について異議申し立てをする人が増えた。若い人たちのTwitterでの投稿を見て、力づけられることは多いです」

伊藤も同意する。「LGBTをめぐる状況もまだまだ問題は山積みなんですけど、今は差別的な発言などに『おかしい』と声をあげてくれる人が増えた。変化を感じています」

新しい世代に、より良い社会を繋いでいくためにーー。団体を次世代に託してなお、二人は「全ての人に差別のない世界」を目指しながら、人生を歩んでいく。伊藤はこう笑った。「まあ、年ではありますけど、死ぬまでやりたいことをやっていこうかな、と」

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